その日の夜は寝苦しいほどに暑かった。ドルマゲスが姿を隠した遺跡、その封印を解くべき鏡を何とかして手に入れたエイト達一行は、翌日の出発に向けてベルガラックの宿を取っていた。
カジノが休業している今、ホテルも閑古鳥だったらしくゼシカとククールが一部屋ずつ、エイトとヤンガスが相部屋。
普段は(外で待機させられるトロデ王の不平不満を逸らす為に)旅費は常に節約がモットーであるはずが珍しい。
きっと明日の死闘を控えた仲間たちへのエイトの仲間たちへのせめてもの配慮だったのだろう。
…暑くて眠れないでげす。
既に灯の消された室内でヤンガスは腹に汗をかきながら身もだえした。
依然訪れたときのベルガラックはこんなには暑くはなかった気がするのだが…寝苦しいのは暑いせいなのだろうか?
それとも明日からのドルマゲスとの直接対決に多少ならずとも緊張しているのだろうか?

それとも…エイトと相部屋などという幸運はせいぜいトラペッタに滞在していたときまでのほんのわずかな期間だ。

…兄貴ぃ…幸せだけどある意味酷でがすよ…
ヤンガスは幸せな、あるいは卑猥な妄想を頭の中に巡らせその巨体をベッドの上でくねらせた。
例え寝ているにしても自分のこんな思いをエイトの前でまずまずと披露するわけにはいかない。
けれど、もしも、もしもエイトが自分の気持ちに答えてくれるなら?
妄想が止まらないまま、エイトに気づかれないようにそっと布団を腹までかぶる。
ゆっくり右手を下半身に伸ばしたときに、不意にエイトの声がした。


「…ヤンガス、まだ起きてる?」
あまりに不意だったのでついベッドから跳ね起きる。妄想は一緒に飛んで行ってしまったようだ。
体は正直だが幸いはいているパンツがゆったりしたものなのでエイトには気づかれないであろう。エイトの方を見ながら早口で返す。
「この通りこんなに暑くちゃ全然眠れませんや。それより兄貴は寝なくてもいいんでがすか?明日からはしばらく辛いでげすよ。」
見るとエイトも額にうっすらと汗をかいている。だが寝るときにも服装は乱さない。ヤンガスにはまさに想像もできない『人のできた行為』である。
下半身が少し落ち着いてきたので話を続ける。
「兄貴はこんなにクソ暑いときにもしっかりしてますねぇ。あっしには考えられないでがすよ。」
「そう…かな?僕だって結構いいかげんだけどな。でもさ、やっぱし暑くて眠れないよね。」
そう言って軽くヤンガスに笑いかける。
「こういう日には泉とか川とか海で水浴でげすね。それと酒!あっしも昔は良くやってたもんでがす。」
「へぇ…昔、か。僕はあんまりやらなかったな。やっぱり、ゲルダさんと一緒に?」
ゲルダと一緒、その言葉が妙にヤンガスの心に響く。
エイトに対する思いに感付かれていないことに軽く安堵したのか、それともがっかりしたのか、自分でもわからない。
「あいつは…何度も言うようでげすがあっしの青春のほろ苦いメモリー、ってやつでがすね。」
エイトは返事をせずに天井を見上げる。
窓からもれる月明かりで照らされるエイトの表情はヤンガスには何かを憂いているような、何かを言いたげな、そして非常に美しく見えた。

ぼうっと見とれるヤンガスに気づいてか気づかずか、エイトが切り出した。
「ちょっと出かけようか?水浴まではちょっと厳しいけどさ、どこか涼しいところ。」
「いいんですかい?明日から大変でげすよ?」
と、言いつつもヤンガスはベッドから起き上がる。いつものお邪魔虫がいない、二人きりの外出。
意識しなくても体は動き出す。
「はははは…即行動っていうのがヤンガスらしいな。それじゃ行こうか。」
ゼシカとククールに勘付かれない様にそっとホテルを出る。月明かりで十分に明るいが、やはりカジノのネオンが無いベルガラックは何か寂しい。
遠くでちょろちょろと噴水の音が聞こえるので多少気がまぎれるが、それでもヤンガスは腹と胸にじっとりと汗を感じてきた。
「行き先は適当でいいよね?んじゃ行こうか?」
返事する暇も無くエイトは目を閉じ、ヤンガスには理解のできない言葉で呪文を刻む。あぁ、ルーラでがすか。
そう思った瞬間にヤンガスの体から重さが消え、目の前が一瞬まばゆい光に包まれる。

一呼吸するかしないかのうちに体に体重が戻り、周囲に夜の闇が広がる。夜の闇、というより深い森のような…
「ルーラですぐこれる水場ってここしか思いつかなかったんだけど…いいよね?」
やはりそうだ。ここはほんのわずかだが馬姫さまの呪いを解くあの泉。
「え…えぇ。兄貴が選んだ場所ならあっしは大歓迎でがす!」
正直この場所はあまり好きではなかった。ここにくるとエイトはミーティアしかみていないから。
ここに来ると自分の思いは遂げられない、その気持ちが現実として突きつけられるから。
「おーい、どうしたんだ?せっかく来たんだから行ってゆっくりしようよ」
エイトが泉のほとりでヤンガスを呼んでいる。そうだ、今日はミーティア姫はいない。兄貴はあっしだけを見ていてくれるはずでがす。
愛していなくても、一人の大切な仲間として。
そう考えるととたんに前向きになれるのがヤンガスの長所であると自分でも良くわかっている。
その証拠に泉の明りに照らされるエイトを見て心臓が激しく脈打っているのが分かる。
心臓の音を聞かれるのではないか、とそっとエイトの隣まで歩み寄る。
二人で泉のほとりに腰を下ろし、靴を脱いでちょっとだけ足を泉に浸してみる。二人とも、何も言葉を発しない。
なんだか口を開いてはいけない、そんな雰囲気にさせられる。ちょっとエイトに目をやると、彼の顔はなんだか浮かない。
「…ヤンガスは、どうしてここまでついてきてくれたんだい?」
沈黙を最初に破ったのはエイトだった。
「どうしてもこうしてもそこに兄貴がいるから!でがすよ。兄貴がいるところならドルマゲスの所だろうがおっさんの城だろうがどこにだってついていきやすよ!」
息もつかずに即答する。兄貴のいるところならどこへだって。ヤンガスの本心から出た言葉だ。
それでもエイトは顔を曇らせたままでいる。

「僕もゼシカも、ククールだって…奴には少なからず恨みがある。でもヤンガス、君には無いだろ?僕のせいで…
ヤンガス、君が死んでしまうかもしれない。僕は、そんなのは嫌だ。」
「兄貴…でもあっしは」
「でもじゃないよ!死んじゃうんだぞ!どうしてそんなに簡単に僕についてこれるなんて言えるんだ?
僕は…そんなにできた人間じゃない。仲間にも自分にも嘘をつきながら旅をしている。
一人だったらドルマゲスなんてどうでもいい。僕は…逃げてる。」
ヤンガスは目を丸めてエイトを見つめる。彼がこんなに弱音を吐くのをみるのが初めてだったからだ。
「……嘘、でがすか?」
「そうだよ。ゼシカにもククールにも、君にも隠してることがある。
それに王にも姫にも隠してる事だってある。仲間にも真実を言えないでリーダー気取りなんて、そんなやつを兄貴分にしたくないだろ?」
ヤンガスはエイトの隣においた手のひらをきつく握り締めた。あまりにきつく握り、爪が手のひらに食い込み血が滲む。
そのまま二人は動かない。ただ、泉の光だけがゆらゆらと二人の影を写し出した。
どれくらいそのままでいただろうか。ヤンガスがふとエイトの顔を覗き込んだ。涙の跡であろう筋が光できらきらと光る。
自身の手のひらに滲んだ血は黒く固まっていた。
「あっしは嘘なんてつかない、なんておっさんみたいに口ばっかり達者な人間は信用しないでがすよ。
兄貴は嘘をつき続けなきゃいけないことをそこまで思いつめてるじゃないでげすか。
それだけであっしが兄貴についていく理由は十分でがす。」

「…ヤンガス…でも」
「でもも何も兄貴、せっかくここには兄貴とあっしのふたりきり。ここはあっしにだけその嘘とやらを話してみるのもいいんじゃないでげすか?」
ようやくエイトが口の両端を持ち上げた、それでもヤンガスにはそれが悲しそうな顔に見えて仕方がない。
「そう、だね。言えば少なくとも君は僕の事を見捨ててくれる。ヤンガス、君だけは生きていてくれる。」
エイトは足を泉に浸したままゆっくりと立ち上がる。背中の剣を下ろし、バンダナを取り、いつも愛用している黄色いコートをほとりに脱ぎ捨てる。
何の前触れも無く装備をはずし始めたエイトにヤンガスはただ呆然と見ているしかなかった。シャツも脱ぎ捨てる。
上半身裸をこんなときにでもわずかに期待してしまったが、裸ではない。白い布がエイトの腰から胸にかけて何重にも巻いてある。
ヤンガスにとってはもはや理解の範疇を超えてしまっている。
「……兄貴………。それって、もしかして。」
「そう。………ぼくは、女だ。」
そういいながらさらしを巻き取る。白い布のしたから豊かではない、だがどう見ても年頃の娘のそれである小ぶりな乳房があらわになった。
ヤンガスは言葉も出せず、ただその姿を呆然と眺めている。
「僕は物心ついたころから男として育てられてきた。けれど城の人間は僕が女だってみんな知ってる。
昔からミーティア姫とはよく城の中庭で遊んでいたからね。」
エイトはゆっくりとヤンガスの隣に腰を下ろし、胸があらわになっていることも気に留めず語り続ける。
「僕だってこんなしゃべり方だけど女の自覚くらいあるんだ。けれど姫は綺麗だから…どうしても姫がいると僕は女として見てもらえない。
正直、姫のそばにいたくないと思ったこともあるよ。今でも…姫を元の姿に戻そうか悩むときがある。
どうだい?僕のことを軽蔑するだろ?僕は未だに旅を続けようかやめようか迷っている。おまけに『兄貴』じゃない。」
「そんなことないでがす!」
今まで黙っていたヤンガスが堰を切ったように喋りだす。

「例え男だろうが女だろうが兄貴は兄貴でがす!あっしの命を救ってくれたのも一緒に旅を続けてきたのも今目の前にいる兄貴じゃないでげすか!
性別なんて関係ないでがすよ!………それに、あっしからみれば、兄貴は十分に、馬姫様よりもずっとずっときれいでがすよ。」
きれいでがす、そういったとたんにヤンガスは顔を真っ赤にして、あまりの恥ずかしさに泉から足を抜いてエイトに背中を向けた。
「えーと…その…つまりでがすね、あっしは、その、あー」
さっき握って血が滲んだ手でもう一度きつくこぶしを作る。今度は血は滲んでこない。
「…つまり、兄貴が男だろうとお、女だろうと、そん、そんなことは関係なく、すすす好きなんでがすよ!」
もうだめでがす!今まで内緒にしてたのによりによって決戦直前にばれるなんてとんでもないでげすよ…
でも兄貴がホントは女で女だとあっしは駄目なはずが兄貴に限っては大丈夫でというかそもそも女でも兄貴にだって
選ぶ権利とかあっしはどうせこんな顔で今まで女運なんてなかったしこれからもないし兄貴だってククールとかあぁぁぁぁぁ!
ヤンガスのそれほどでもない思考回路がパンク寸前になる。もはやドルマゲスなんて頭に無い。
いっそここでエイトがベギラマでも使って自分を焼肉にしてくれたらどんなに楽になれるんだろう。

当然ベギラマで焼肉、とはならない。かわりに。

背中から服越しにやわらかい感触。首まわりが熱い。
「……あぁぁにあにあにきぃぃ!?」
もはや思考がショートしているヤンガスは言葉すらまともに出てこない。
「ヤンガス…ごめん。ありがと。女として見てくれて。僕を、嫌いにならないでいてくれて。」
「……あ、兄貴…。」
少しだけヤンガスも冷静さを取り戻す。
「だから、あっしを置いていくなんて無しでがすよ。あっしが戦う理由はここにあるんでげすからね。それに俄然やる気出てきちゃいやしたよ。」
「ヤンガス…」
エイトが背中から抱きついたまま、耳元で囁く。
「あたま、真っ赤でスライムベスみたいだ。」
…ちょっと告白を期待しちゃったのにそんなでげすか…はぁ。でも。
クスクスクス、エイトが自然と笑みをこぼす。げーすげすげすげす。ヤンガスもつられて大笑いする。
二人の笑い声が森に響き渡る。
笑い声に答えて泉の光がゆらゆらと動く。

空がうっすらと明るくなり始めてきた。
「二人が起きる前に帰らないと、ね。」
「あっし…これから先二人で寝れるか自信ないでがすよ…」
元の服装の戻ったエイトとヤンガスがそろって泉を後にする。
「続きはドルマゲスを倒してから、だろ?ちゃんと僕も答えてあげないとね。」
「答え、って…兄貴、それじゃ!」
エイトはヤンガスに微笑みかけるだけで答えない。代わりに。
「じゃ、帰るよ!ベルガラックまでルーラだ!」



終劇