紅一点



 その女の子は、不機嫌でした。
 年に一度のバザーでにぎわう西の国サザンビークです。めずらしい武器や道具を求める旅人たち、
ひともうけをたくらむ商人さん、さらには人の財布をスキあらばとねらう泥棒さんまでもが世界じゅうから
やってきていて、城下町の大通りはもう人波でぎっしり。ところ狭しと軒をつらねた屋台や露店には、
おいしそうな食べ物やきれいな装飾品がならび、いろんな芸人さんたちが歌やダンスを披露して、
目をうばわれた人はたちまちお客さんになっていきます。
 彼女が不機嫌な顔をして歩いているのは、そんな城下町の東の通りです。料理の材料や貴重な
薬草の店がならぶ西側に比べ、東では名だかい戦士さんたちの使うような優れた武具や、ほかの
街にはない高価な指輪や帽子が売られています。
 でも、そうした品物に彼女は気を取られてはいません。彼女が真剣に目を走らせているのは、通りを
行き交う人、店に並ぶお客さんのひとりひとりでした。人々を見るその眼差しには、もし親切な人が気付い
たならすぐにわけを聞いて手をさしのべてあげたくなるような、まっすぐなきまじめさと、こどもっぽい不安の
色が、はっきり表れています。ふしぎなことに、人のおおぜいいる中をそんなふうにきょろきょろしながら
歩いていても、彼女は人にぶつかったりすることがありません。よく見ると、ぶつかりそうになるより早く、
右に左に、しっかり、よけているのです。しぜんな動きなのでよけられた人たちは気にすることなく通り
すぎていきますが、見る人が見れば、こいつはただ者ではない、と驚き怖れることでしょう。
 そんなふうに人波の間を器用に歩いていた彼女が、急に、南の城門に向かって、駆けだしました。
 閉じていく城門の前では、今しがたこの城下町に着いたばかりの商人さんが、壮観なサザンピーク城、
それにバザー会場にごったがえす人々を眺め、ため息をついているところでした。
「すみません」
 彼女はその商人さんに話しかけました。何かを聞きながら、手のひらを頭の左右ですぼめたり、
丸めて胸の前で縦に振ったり、腰のところで斜め下へ払ったりしてみせています。中年の商人さんは
彼女の身振りを交えた質問をじっと聞いていましたが、やがて首を横に振りました。
「さあ。俺はベルガラックから来たんだが、そんな色っぽいお嬢ちゃんは見なかったよ」
「そうですか。すみませんでした」
 彼女はていねいに商人さんに頭を下げます。まぶたを少し落とし、わずかに口を尖らせているその
顔には、控えめですが、がっかりした様子、そして苛立ちがみえます。彼女はそんな短気な女の子では
ないはずなのですが、今日に限ってはどうも機嫌が悪いようです。
 また城門が開き、今度は若い女戦士さんがやって来ました。彼女はすぐ駆けより、つい今商人さんに
したような手振りと質問をしました。
「ふーん……。あたいは見ちゃいないけどさ。おおかた他の男に引っかけられたんじゃないかい?
そんな出るとこ出てる娘、男が放っとかないだろうよ。ま、諦めんだね」
 女戦士の答えを聞いた女の子は、しょんぼりとうなだれながら、やっぱりむっとして唇を結びました。
 彼女は、今日のお昼からずっと、こうして旅人に聞き込んだり、通りを何度も往復したりしているの
です。そしてもう西の山脈のかなたに日が沈みかかっています。彼女が不機嫌なのは、いくら走り
回っても、ほしい情報がぜんぜん手に入らないからでしょう。
 でも、それだけではないようです。
「うひょー! そんな色気ムンムンの姉ちゃんがこの町にいるってのか。それならオレ様も探してやろう。
もし見つかったら一晩貸してくれよな。がははは」
「ああ。あの胸のでっかい……いや、僕もそこの宿に泊まってるんだ。君、あの娘の友達なの? こんど
紹介してもらえないかな。お礼はするよ!」
 訊ねた相手からそんな返事がかえってくるたび、彼女は悲しそうな、怒ったような顔で、うつむいていました。
 そうして、彼女の表情が晴れないうちに、サザンビークの城下町は夕闇に包まれていきました。


「おや。エイトさん、おかえり」
 宿屋に帰ってきたエイトに、宿の女将さんが声をかけました。
「お連れさん……ゼシカさんでしたっけ、見つかったかい? ……まあそれは残念だったねえ。
でも、お前さんたちが大事な仲間と考えてるなら、向こうだってそう思ってるはずさ。だからよほどの
ワケがあるんだよ。うん、あとのお二人さんならもう帰ってきてて、お部屋にいるよ。すまないけど、
夕食はもう少し待ってもらえないかね」
 女将さんに眠そうな笑顔でうなずいてみせると、エイトは、くたくたに疲れている身体を引っぱり上げる
ようにして、二階へのぼっていきます。
 一見、細身で頼りなげな若者に見えるこのエイトですが、じつは北のトロデーン王国で近衛兵を
している、りっぱな騎士です。しかもなんと、つい昨日、エイトの故郷であり兵士として仕えていた
トロデーンのお城を呪いのイバラで封印した犯人、道化師ドルマゲスを、仲間たちとの長い旅のすえ
ついに北の遺跡に追いつめ、激しい死闘の果てに葬り去ってきたばかりなのです。
 そんな現代の勇者ともいえるエイトたちが新たに抱えた難事、それが、仲間の一人ゼシカさんの、
突然の失踪でした。
 名家のお嬢さんであり、強力な魔法の使い手、しかもとびきり魅力的な体つきの美女ゼシカさん。
彼女にとってもドルマゲスはお兄さんの仇でした。そのゼシカさんが、見事に本懐をとげた翌朝、
エイトたちに何も告げずに姿を消してしまったのです。
 残されたエイトと二人の仲間は、街じゅうから城内をくまなく探し、三人別々に情報を集めることに
したのですが、ゼシカさんのことは見知っていても行方まで知っている人は現れませんでした。
けっきょく『北の関所』に行ったらしいという以外とくに手がかりはないまま、エイトはほかの二人の
成果に望みを託して、宿に戻ってきたのでした。
 けれど。エイトが、泊まっている部屋のドアノブに手を伸ばしたとき、
「これほど探していないということは、ゼシカの姉ちゃん、この国にはいないようでがす。やっぱ、
むさい男ばっかのパーティーがイヤになったんじゃ……」
「安心しろ。このオレがいるかぎり、断じてそれはない!」
 中から聞こえてきたのは、二人の仲間のそんな話でした。
 どうやら残りの二人、もと盗賊のヤンガスさんと聖堂騎士のククールさんにも、ゼシカさんの行方は
つかめなかったようです。
 がっかりして目を伏せるエイト。心配そうな表情を浮かべて拳をにぎりしめ、首をかすかに横に振って
います。ゼシカさんの身を案じているのです。ゼシカさんとは、三人のうちでいちばん仲が良かったエイト
ですから、落ち込むのはあたりまえでしょう。
 でも、そこはエイトです。もう一度ぐっと拳をにぎって背を伸ばし、眉と唇を引き締め、凛とした表情に
なりました。新たな旅……ゼシカさんの行方を捜す旅に出発する決意が固まったのです。
 その決意をさっそく仲間に伝えようと、エイトはドアノブをにぎりました。そのとき、またヤンガスさんと
ククールさんの話が、聞こえてきました。


「ゼシカの姉ちゃんがいないと、あっしらにも張り合いがないでがす。こう、花がなくなったというか……」
 ベッドに腰かけたヤンガスさんが、肩をすくめて言います。
「ああ。いなくなって初めて、ゼシカのありがたみってもんが身にしみてくるぜ。とくに、知らない間に
目がいっちまう、あの胸な」
 壁に寄りかかるようにしているククールさんも、腕組みをしながら、うなずきました。
「オレはすっかり、あれが隣で揺れてくれてないと戦ってる気になれないって体質になっちまったよ」
「まったくでがすなぁ。反則でがすよ、あの胸は」
「さすがのオレも、初めて見たときは、胸に水風船でも入れてんのかと見まちがったくらいだからな」
「水風船は言いすぎでがすが、さすが自分で最強と言うだけはあるでがす。兄貴やあっしたちのことは
まるで知らなくても、ゼシカの姉ちゃんは覚えてるなんて奴ばかりでしたでがす」
「そりゃあオレだって、あんなスタイル抜群なお嬢さまが歩いてたら、他の女連れてたって声かけてる
からな……お、エイト」
 ドアが開いて、エイトが入ってきました。どうしたのか、うつむいています。
「おかえりでがす兄貴。どうでがした?」
 ヤンガスさんが、すぐ駆けよって、首尾を聞きました。ところが、エイトはそれに答えず、ヤンガスさんの
前で立ち止まりました。目は前髪に隠れて見えませんが、結んだ唇、それに肩が、細かく震えています。
「兄貴……?」
 心配になって下からのぞき込んだヤンガスさんは、瞬間キッとにらみつけてきた黒い瞳と、そこに
薄く浮かんだ涙を見て、息を呑みました。「エイト?」ククールさんも、エイトの様子がおかしいのに
気付いて、壁から背中をはなしました。
「あ、兄貴? 何かあったでがすか!?」
 エイトは、黙ったまま、らしくない悔しそうな目でヤンガスさんを見下ろしていました。そしていきなり、
ヤンガスさんの羽うちわのような手のひらを両手で取って引き寄せ、自分の左胸に押し当てました。
「ほ、ほらっ! 僕にだって、ちゃんとあるんだぞっ!」
「へ……?」
 ヤンガスさんのつぶらな瞳が、もっとまんまるになりました。
 それは。
 ゼシカさんのもののように、男の人の目を釘付けにしたり、水風船のように揺れたりするには、
はるかに足りない大きさでしたけれど。
 幾重にも巻かれたさらし木綿に抑えつけられていましたけれど。
 ヤンガスさんの太い指と皮の固まった手のひらをやさしく受け止め、やわらかく押し返すそのふくらみは、
やっぱり、女の子の、おっぱいでした。
「あ、あ、あに……」
 エイトの女の子なところに自分の手が触れている、その映像に一瞬遅れて、手を包むそれの
やわらかい感触が、腕から肩を伝わってヤンガスさんの脳に達しました。
「きっ……!」
 瞳が上を向き、体が後ろに引っ張られるように傾いて……どしん! ヤンガスさんはあお向けに
ひっくり返ってしまいました。
「や、ヤンガスっ!?」
 エイトはびっくりしてヤンガスさんを抱き起こしました。「ヤンガス! ヤンガス!」呼びかけますが、
ヤンガスさんは、しあわせそうな、夢見ごこちな顔で、鼻血を流して気を失ったままです。もし目を
覚ましたとしても、うるんだ瞳で必死に心配してくれるエイトの顔をこんな間近で見たら、もう一度
ぶったおれてしまうでしょう。
「ククール、何とかしてぇ!」
 その涙声に、ぼうぜんと見守っていたククールさんがハッとなり、やれやれという、いつもの冷めた
表情に戻りました。
「んー……こりゃ出血多量で即死だ。ザオラルかけなきゃだめだな」
 ヤンガスさんのそばにかがみこんでククールさんがまじめな声でそう言うと、エイトは「ええっ?」と
泣き出しそうな顔になります。
「冗談だ。気絶してるだけさ。ほら、そっち持ってくれ。寝かしときゃそのうち気が付くだろ」
 二人はヤンガスさんをベッドに横たえました。エイトが、ハンカチで、鼻血をそっと拭いてあげます。
そんなエイトに、ククールさんがくすりと笑い、からかうように言いました。
「しっかしエイトちゃんて大胆だな。いくら好きな男だとはいえ、いきなり、触らせるとはなあ」
 とたんにエイトは、火がついたように真っ赤になって、ククールさんを振りむきました。
「す、好っ……ぼ、僕はっ、その、そんなつもりだったんじゃない!」
「けどさ。そういう娘、オレは嫌いじゃないぜ?」
 視線を合わせにやりと笑うククールさんに、エイトはますます赤くなって顔を背けましたが、不意に
その顔をゆがめて、「うそだ」と、唇を尖らせました。
「……どうせ、ヤンガスもククールも、ゼシカみたいに、出るところが出てて、色っぽくて、女らしくて……
そういう娘にしか、興味ないんだろ」
 はっきりと不機嫌なエイトの言葉に、ククールさんは、あちゃあ、というように、斜めに首を振りました。
「やっぱさっき聞いてたのか。あれはそういう意味じゃなくてな……。悪かったよ。そんなに気にしてるとは
思ってなかった」
 すまなそうにククールさんが言いますが、エイトの顔はみるみる床を向いていきました。
「街の人とかはいいんだ。でも……ヤンガス、と、ククールは、僕のこと知ってるじゃないか。僕、
こないだ、みんなにちゃんと話したのに……なのに……。僕だって、ほんとはゼシカみたいに……」
 エイトの、泪で次第に消えていくような訴えを聞いて、ククールさんはあわてて両手を振ってみせました。
「ああっ、だからさ、悪かったって。その、男装してなきゃならないんなら、むしろ、ぺちゃっとしてたほうが
いいんじゃねえかって……おっと、んーな怖い顔するなよ。お前がそんなふうに割り切って考えてんじゃ
ないかと、オレは思ってたわけさ。けど、ま、女なんだから、気にするのは当然だよな」
 そう言ってククールさんは、ぱんっと両手を合わせました。
「よし。お詫びにオレがさ、でっかくする方法を教えてやるよ」
「えっ?」
 エイトが、涙目に期待と不信を混ぜて、ククールさんをゆっくりと見上げました。
「そんな方法あるの? ミルクをいっぱい飲むとかじゃなくて?」
「んー、まあな。教えてやるからオレの部屋に来いよ。こいつには知られたくないだろ?」
 エイトは、顔を赤らめて、少しのあいだ迷っていましたが、眠ったままのヤンガスさんにそっと毛布を
かけてあげると、ククールさんについてその部屋を出ていきました。


 ――宿の一室からオレンジ色の雷光と若い男の悲鳴があがって大騒ぎになったのは、このすぐ後でした。
 この数日後には、暗黒神の呪いに囚われていたゼシカさんを救いだし、さらに数ヶ月後には世界をも
救うことになるエイトたちなのですが……。
 今夜のところは、冒険もゼシカさん探しも、お休みのようです。