ヤンガスが旅に同行して間もない頃。

旅慣れていない一行は遠出しすぎて夜になり、よりによってバブルスライムの群れに遭遇した。
一匹一匹は大して強くなかったが、エイトが毒に侵されてしまった。

エイトは物心ついてから、ほとんど城から出たことがなかったらしい。
トロデーン城に近いトラペッタ周辺の魔物すら知らなかった。
ヤンガスも故郷パルミドより弱い魔物が多いからと油断していた。
つまり、毒消しを持っていなかったのだ。

魔物の毒に侵されると、少しずつ体力が減っていく。放っておけば命に関わる。
魔物よけに、なけなしの聖水を振りかけ、一行はトラペッタへ急いだ。
途中、一度だけスライムと戦ったが、辛さをおくびにも出さず剣を振るエイトを見て、
ヤンガスはますますエイトに惚れ込んだ。

トラペッタへ辿りついた頃には、さすがのエイトもふらついていたが、まだ自力で立つことができた。
だが、顔色はひどいものだ。
「では王様、今日はここで」
「挨拶など良い。ヤンガス、後は頼んだぞ」
わしもついて行きたいが……と心配するトロデ王を制し、エイトとヤンガスはトラペッタの門をくぐった。

町は静かだった。道具屋が閉まっていることに気付き、ヤンガスがしまったと思った時だ。
後ろから伸びていたエイトの影が消えた。
はっとヤンガスが振り向くと、エイトのひざががくりと折れ、まさに倒れるところだった。
「兄貴!」
気を失ったエイトを、かろうじて支えた。
エイトの体重がヤンガスにのしかかったが、思いのほか軽い。
ヤンガスは
「兄貴、しっかり…」
と言いかけてやめた。
気丈なエイトのことだから、呼び掛ければ目覚めるに違いない。
だが、歩く限界を超えているのは明らかだ。
ヤンガスは慎重に身を翻し、腕に抱えていたエイトを背負った。

どれくらい時間が経っただろうか。
薄明かりの中でエイトは意識を取り戻した。いつの間にかベッドに横たわっている。
(ここは……トラペッタの宿屋?)
町の入り口でトロデ王と別れたところまでは覚えている。しかし、その後の記憶がない。
傷には手当てが施されている。
毒を受けた左の上腕部はガッチリと包帯が巻かれ、布の表面には薬草の水気が滲んでいる。
皮膚と包帯のすきまからケロイド状にただれた傷口がのぞいていたが、皮膚は再生してきている。
どうやら薬草だけでなく、毒消しも使われているようだ。
まだ体は辛いが、どうやら快方に向かっているらしい。
(誰が手当てしてくれたんだろう)
思い当たるのは一人しかいない。

微かな足音に気づいて目を向けると、ヤンガスが階段を上ってきたところだった。
「気がついたでがすか」
ほっとした表情を見せたヤンガスは、腕に手桶を抱えている。
まだ自由の効かない体だったが、エイトは無理やり起き上がった。
旅のリーダーを任されているのに、一人で休むわけに行かない。
「ああ、まだ起きちゃダメでがすよ」
「このくらい大したことないよ。王様と姫は?」
「無事でがすよ。二人ともいつも通り町の外に……それより今は自分の心配をしなくちゃ」
ヤンガスはエイトの額にあてがったタオルを取ると、手桶の水で濡らして固くしぼった。
「……倒れちゃったんだね。ごめん」
「兄貴はよく頑張ったでがす。本当なら旅慣れてるあっしが色々用意するべきだったでがすが、油断したばっかりに兄貴がこんな目にあっちまって」
濡れたタオルを額にのせてもらうと、ひんやりして気持ちがいい。
「ありがとう。この色違いの薬草は毒消し? 道具屋まだ開いてないよね。それとも丸一日寝てたのかな」
「宿の主人に事情を話したら分けてくれたんでがす。毒が回って担ぎ込まれる旅人が多いとかで、常備してるらしいでがすよ。盗みはやってないでがす」
「ごめん。そんなつもりじゃ……」
「冗談でがすよ」
ヤンガスは、へへへ…と笑った。もし宿屋に毒消しがなければ、道具屋に盗みに入ろうと決めていたことは黙っておいた。

カーテンで遮られた窓に、うっすらと白い光が差している。明け方が近いようだ。
「もしかして、ヤンガスはずっと起きてたの?」
「おっさんに兄貴を託されたでがすからね。いや、おっさんの頼みがなくても、これくらい屁でもないでがす。でも兄貴はしっかり休まなくちゃ」
「だめだよ。ヤンガスが横になるまでは僕も寝ない」
「しょうがない兄貴でがすねえ」
ヤンガスは苦笑した。
エイトは穏やかな性格だが、こうと決めたら曲げない頑固なところがある。
ヤンガスは、兄貴もだいぶ元気になってきたみたいだし……と言いながら伸びをすると、隣のきれいなままのベッドに潜り込んだ。
疲れていたのだろう。一分も経たない内に、ヤンガスはいつもより控えめないびきをかき始めた。
「おやすみ、ヤンガス。……ありがとう」
起こさないよう小さく声をかけると、エイトは目を閉じた。

しばらくして。
ヤンガスのいびきが止まり、薄く目が開いた。耳をすますと規則正しい寝息が聞こえる。
ちらりと隣へ目を向けると、エイトは眠りにおちた様子だった。
宿屋にたどりついた時は、今にも死んでしまうのではないかという有り様だったが、大分落ち着いたようだ。
よく眠っているのを確認して、ヤンガスは起き上がった。
(兄貴……)
悲しいような、苦しいような、複雑な面持ちでエイトを見つめた。
命を助けられ、ヤンガスが兄貴と慕う強く優しい少年が、実は……
(まさか兄貴が女だったとは……)
暴こうと思ったわけではない。治療中、偶然知ってしまったエイトの秘密。
初めはまさかと思った。だが、例え服の上からだとしても、体に触れて確かめる行為はためらわれた。
理性を総動員して、何も考えず治療に専念していると、ふいに涙ぐんだ。
目の前の細い双肩に、トロデ王と馬姫の、いや一国の運命が掛かっているのだ。
今まで勝手気ままに暮らしてきたヤンガスには、想像できない重圧に違いない。
そして今また、こんな体で周りの心配ばかりしている。
(ごめんだの、ありがとうだの、兄貴は優しすぎるでがす)
優しいだけじゃない。エイトは経験が浅い割に、体力も精神も強い。
秘密を知られても動じることはないだろうが、隠していたことを過剰に気にして心を痛めるに違いない。
さっきのように寂しげな表情を浮かべて「ごめん」と何度も……。
(いいでがす。兄貴が自分から明かしてくれるまでは、今日の事はあっしの胸にきっちりしまっておくでがすよ。……いけねえ。涙が出てきた)
こわもてだが、ヤンガスは涙もろい。
エイトが目を覚ましてはまずい。嗚咽がもれないよう頭から毛布を被ったヤンガスも、いつの間にか眠っていたのだった。